「とちぎ」のルーツ 蔵の街のはじまり

2018.03.07

1617年、徳川家康の霊柩が日光山に改葬された後、朝廷(京都)からの勅使が毎年日光東照宮へ参向するようになりました。この勅使を例幣使ということから、例幣使が通る道を日光例幣使街道と呼ばれました。

栃木はこの街道の宿場町となり、人と物が集まるようになって、これが商都として発展のきっかけとなりました。

さらなる発展の原動力となったのは、巴波川の舟運での江戸との交易でした。

江戸から日光御用の荷や塩などが運ばれ、栃木からは木材や農産物が運ばれました。

舟運は江戸の初めから利用され、交易は次第に盛んになり江戸末期には栃木の商人たちは隆盛を極めたといわれます。

その豪商たちが白壁土蔵を巴波川の両岸にそって建てていきました。

栃木の蔵の街並みは、かつての栄華を極めた豪商たちの歴史が築いてきたものなのです。

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